について テオドシウス1世のオベリスク
イスタンブール旧市街の中心に立つエジプトの記念碑
スルタンアフメト広場では、かつてのコンスタンティノープル競馬場の跡を歩く人々の前に、ピンク色の花こう岩でできた高い石柱がそびえています。テオドシウスのオベリスクとして知られますが、ローマ時代に作られたものではありません。古代エジプトの記念碑として生まれ、地中海を渡り、数世紀後に現在の場所へ建て直されました。古代エジプト、帝国時代のコンスタンティノープル、現代のイスタンブールという複数の歴史が一つの公共空間に重なり、博物館に入らなくても見学できます。
現存する石は、紀元前約1450年にファラオ、トトメス三世によってエジプトのカルナック、アメン・ラー神殿の近くに建てられました。イスタンブール市の文化遺産記録によれば、当初は似たオベリスクと並んでいたとされます。石の面には今もヒエログリフが見えます。つまりこの記念碑は、ローマ帝国や後世のビザンティン都市としての歴史より何世紀も古いものです。「テオドシウスのオベリスク」という呼び名は、後にコンスタンティノープルへ建て直されたことに由来し、エジプトでの制作者や最初の所在地を示すわけではありません。
カルナックから競馬場へ
エジプトのオベリスクは複数がローマの都市へ運ばれ、支配者たちは都市の記念碑的な景観をつくるために利用しました。市の文化遺産記録は、この石柱を新都へ移す計画をコンスタンティヌス大帝と関連づけていますが、到着が遅れた理由は分かっていないとしています。最終的に、紀元4世紀のテオドシウス一世の時代に競馬場へ再び建てられました。現存する公式説明は、エジプトを離れてから設置されるまでのすべての段階を明らかにしていません。確かな証拠を超えて、旅程を細部まで断定することはできません。
現存する石柱の高さは19.59メートルです。同じ市の記録によると、元の高さより低く、おそらく当初の約3分の2にあたります。見学するときは、今見える石が完全な古代のオベリスクではなく、残存部分である可能性を念頭に置きましょう。競馬場に建てられたことで、エジプトの品はローマの公共空間の一部となりました。現在の広場でも、単独の遺物としてではなく、イスタンブールの後世の歴史と合わせて見ることができます。
石柱だけでなく台座にも注目
彫刻が施された大理石の台座は、別の歴史を伝えています。市の文化遺産記録は、オベリスクを立て直す場面や、皇帝が臨席する戦車競走の場面を紹介しています。台座の主要部分の二面には古代ギリシャ語とラテン語の銘文があり、上の石柱の四面にはヒエログリフが刻まれています。それぞれ時代と役割が異なり、石柱にはエジプト王権の図像と文字が、台座にはコンスタンティノープルでの後世の展示を示す表現が残されています。
台座は常に全体が地上に見えていたわけではありません。オスマン時代に地面の高さが上がり、下部は土に埋もれました。1857年4月、英国人研究者C・T・ニュートンが底部まで掘り出しました。市の記録によると、それ以来、台座は鉄柵で囲われた四角い窪地に位置しています。見学者は周囲の公共空間から細部を観察できますが、柵の中に入ったり、歴史的な構造物に登ったりしてはいけません。浮き彫りは歩道から眺めるもので、手で触れたり写真撮影のために乗ったりする場所ではありません。
場所を確認して見学を計画する
記念碑はイスタンブールのファティ地区にあるスルタンアフメト・メイダヌ、旧競馬場の跡に立っています。トルコ政府観光案内は、エジプトのオベリスク、蛇の柱、壁積みのオベリスクなど古代の記念碑が並ぶ広い公共公園として広場を紹介しています。そのため、別に博物館を予約するのではなく、スルタンアフメト周辺の散策に組み込めます。周辺には主要な歴史的名所がありますが、それぞれ来歴が異なるため、ひとまとめにせず個別に見てみましょう。
ここは公共広場にある屋外記念碑で、入場券が必要な屋内施設ではありません。市の文化遺産案内や政府観光ページには、時間指定入場、独立した入場料、オベリスク自体の固定開場時刻は記載されていません。ただし、公共イベント、保存修復作業、広場の警備対応によって通行が変わることはあります。当日の現地案内を確認してください。石柱の彫刻だけでなく台座の浮き彫りも見る時間を確保しましょう。広場の反対側から急いで写真を撮るだけでは、特異な見どころの多くを見逃してしまいます。
充実した見学には、少し立ち止まって観察するのがおすすめです。花こう岩のヒエログリフを見たあと、大理石の台座に刻まれた皇帝の催しの場面を眺めてみてください。両者を比べると、エジプトの環境で作られた記念碑が、コンスタンティノープルで別の公共的な役割を得て、現代のイスタンブールまで残った過程を考えられます。移送のすべてが分かっているわけではなく、未解明の段階もあります。それでも、約3400年前にカルナックに立てられた石がローマの競馬場で再び立ち、今なお街の歴史地区に立つという、記録された事実だけで十分に印象的です。