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テオドシウス1世のオベリスク

テオドシウスのオベリスクを詳しく解説。古代エジプトから競馬場への移設、台座浮彫、世界遺産地区での見学方法が分かる。

座標: 41.005974, 28.97541 更新日: 2024-01-19

について テオドシウス1世のオベリスク

テオドシウスのオベリスク:古代エジプトからコンスタンティノープル競馬場へ

テオドシウスのオベリスクは、イスタンブールのスルタンアフメト広場に立つ古代記念物である。かつてのコンスタンティノープル競馬場の中央線に残る主要な遺構だが、ビザンツ時代に新しく彫られた石柱ではない。エジプト第18王朝のファラオ、トトメス3世のために造られ、4世紀にローマ皇帝テオドシウス1世が再び建立した。

現在の広場はスルタンアフメト・メイダヌと呼ばれ、オスマン時代には「馬の広場」を意味するアト・メイダヌとして知られた。オベリスク、蛇の柱、組積造オベリスク、ドイツの泉をたどると、ローマ、ビザンツ、オスマン、現代トルコへ続く都市の時間が見えてくる。

紀元前15世紀のエジプト製石柱

オベリスクは紀元前1450年頃、トトメス3世によってテーベのカルナック神殿、アメン・ラーの聖域に建立された。アスワン産の赤色花崗岩を用い、ヒエログリフはファラオと神への献納を称える。現在地で見える石柱は高さ約20メートルで、巨大な一枚岩を古代に運搬し直立させた技術も大きな見どころだ。

エジプトからコンスタンティノープルへ移された全工程には不明点が残るが、テオドシウス1世の治世、390年頃に競馬場の中央分離帯へ据えられたことは確認されている。運搬または建立の過程で元の柱が短くなった可能性があり、現存部分は大理石の台座に載る。

台座が語る皇帝の権力

下部の浮彫台座は、エジプトの石柱より約1800年後の作品である。皇帝と宮廷、官僚、競技の場面が刻まれ、群衆の集まる場所でテオドシウスが支配の正統性を示したことが分かる。ギリシア語とラテン語の銘文は建立工事を語るが、完成までの日数を一方は30日、もう一方は32日としている。

競馬場はセプティミウス・セウェルス帝の時代に起源を持ち、コンスタンティヌス大帝が拡張した。戦車競走、式典、政治的な意思表示が行われる都市生活の中心で、皇帝は貴賓席から民衆に姿を見せた。中央線上の記念柱は会場を飾ると同時に、ローマ帝国を古い文明の権威へ結びつけた。

世界遺産地区に残る屋外遺構

1985年に世界遺産となった「イスタンブール歴史地域」には、スルタンアフメト考古公園が含まれる。競走路や観客席の全体像は地表に残っていないが、三本の古代記念柱を順に見ると、競馬場の軸線と規模を想像しやすい。

オベリスクは公開広場にあり、単独の入場券や専用開場時間はない。通常は外周から自由に見学できるが、市の工事、警備、催事で一部通行が制限される場合がある。トラムT1線スルタンアフメト停留所が近く、アヤソフィアとブルーモスクから歩いて回れる。

二つの時代を読み分ける

ヒエログリフだけでなく、花崗岩のエジプト製柱身とビザンツ時代の台座を分けて観察すると、この遺構の本質が理解できる。約1800年を隔てた二つの政治世界が、一つの記念物として再構成されている。朝は人が比較的少なく光も柔らかいが、日中は周囲の建築との位置関係を把握しやすい。

石材に触れたり、保護設備へ上ったり、寄りかかったりしてはならない。広場は人通りが多く、夏は強い日差しへの備えと手荷物管理も必要だ。テオドシウスのオベリスクは、本物の石材によって古代エジプト、ローマ帝国、現代イスタンブールを結ぶ稀有な証言なのである。