について メムノンの巨像
古代テーベの入口に立つ二体の王像
ルクソールのナイル川西岸で、二体の石像が東、すなわちナイル川と日の出の方向を向いて座っています。一般に「メムノンの巨像」と呼ばれるこの一対は、紀元前14世紀、第18王朝のファラオ、アメンホテプ3世を表しています。メンフィス大学のエジプト美術・考古学研究所によると、石英岩製で高さは約19.6メートル。かつてはコム・エル・ヘッタンにあった王の葬祭殿入口を左右から守っていました。
周囲の景観を知ると、像の役割が見えてきます。二体は単独の記念像ではなく、王の記憶を保ち、死後も祭祀を続けるための広大な王室建築群への入口を示していました。エジプト観光・考古省は「百万年の神殿」とも呼ばれる葬祭殿が紀元前14世紀前半に建設されたと説明しています。規模と装飾の豊かさから、ルクソール西岸を代表する王室事業の一つでした。
アメンホテプ3世の治世は新王国時代にあたり、王宮や巨大彫刻は政治的・宗教的な権威を表す手段でした。エジプトの博物館資料では、王妃ティイや母ムトエムウィヤも周辺の彫刻群に登場します。現在見られる巨像は壮大な入口の一部ですが、当時の複合施設には塔門、中庭、広間、彫像、儀礼空間がありました。
ギリシャ神話が「メムノン」の名を広めた
「メムノン」はファラオのエジプト名ではありません。日の出の頃に音が聞こえたという話から、ギリシャ人の訪問者が北側の像を神話上の英雄メムノンと結びつけました。メンフィス大学によれば、厳密にはこの呼び名は北像を指しますが、旅行者や案内では二体をまとめて「メムノンの巨像」と呼ぶのが一般的です。この違いを知ると、エジプト王の像としての本来の姿と後世の評判を分けて理解できます。
古代の記録には、北像が朝に声や音楽のような響きを出したと記されています。ギリシャやローマの人々は、メムノンが母である暁の女神アウロラを呼ぶ神話を重ねて説明しました。ただし音は毎日聞こえたわけではなく、訪れても何も聞けないことがありました。伝承は人々が遺跡をどう受け止めたかを物語るもので、石が超自然的な力を持つと証明するものではありません。
メンフィス大学の解説では、損傷した北像が2世紀初頭、ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの時代に修復され、その後音が止まったとされています。修復によって像の状態が変わり、古代の旅行者を引き寄せていた現象も終わりました。この伝説は今も訪問の魅力ですが、エジプトの王像としての出自、葬祭殿の建築、時代ごとの解釈も同じくらい重要です。
廃墟からの再発見と続く保存活動
葬祭殿は古代に大きな損傷を受け、その後、石材の一部は別の建築に転用されました。洪水や地下水も遺構を傷めました。長い間、入口に残るメムノンの二体が最も目立つ存在で、殿内の多くは破損し、埋もれ、散逸していました。そのため訪問者は像を孤立した記念物のように見がちですが、調査は背後に広がる王室複合施設の規模を少しずつ明らかにしています。
巨像と葬祭殿を守るため、エジプト・ドイツ共同の保存事業が1998年に始まりました。省の発表によると、記録作成、地下水の管理、散在する石材の回収、別の彫像の修復などが進められています。2025年にはアメンホテプ3世の座像二体が組み直され、第三塔門の元の位置に再び立てられました。これはメムノンの名で知られる入口の石英岩像とは別の組で、素材もアラバスターです。新たな復元によって、訪問者は神殿全体を想像しやすくなりました。
発掘現場からは今も遺物が見つかります。省は女神セクメト像、スフィンクスの破片、銘文入りの石材、建築部材などを報告しており、保存と研究が続いています。ただし発見された場所がすべて一般公開されているわけではありません。西岸は現在も考古学調査が進む地域で、修復によって見える景観が変わる一方、立入りが制限される区画もあります。
メムノンの巨像を訪ねる前に
エジプト政府観光案内は、像を西岸の道路沿いに位置づけ、すぐ後ろにある古物監督局のチケット窓口を探すよう案内しています。今回確認した公式ガイドには、最新の開館時間やこの場所だけの入場料は記載されていません。無料だと決めつけたり、西岸の共通券ですべて入れると考えたりせず、出発前に窓口で入場条件と立入り可能な範囲を確かめてください。
巨像はテーベの景観にある屋外の見学地で、充実したビジターセンターを備える博物館ではありません。西岸観光の一部に組み込み、他の遺跡も訪ねる場合は、それぞれの営業時間と券種を別々に確認しましょう。特に日中は日差しと暑さが厳しくなります。水、日よけ、乾燥した不整地を歩ける靴を準備し、柵や係員の案内に従ってください。保存工事の状況で通行経路が変わる可能性があります。
正面写真を撮るだけでなく、少し立ち止まって周囲を眺めてみましょう。平原に対する像の大きさ、川へ向く姿勢、修復された彫像が失われた葬祭殿をどのように想像させるかに注目してください。「二体が手つかずのまま残った」という単純な話ではなく、損傷、石材の再利用、後世の伝説を経てきた遺構です。メムノンでは、過去は石像だけでなく、今も続く保存と考古学の仕事にも刻まれています。