について 王家の谷
王家の谷:古代エジプト新王国時代の王墓群
王家の谷は、アラビア語でワーディー・アル=ムルークと呼ばれ、「王たちの門の谷」という別名もあります。紀元前16世紀から紀元前11世紀までのおよそ500年間、新王国時代の第18王朝から第20王朝のファラオや有力貴族のために、岩を掘り抜いた墓が造られました。
ナイル川西岸に広がるテーベの墓域
谷はナイル川西岸、古代テーベ、現在のルクソールの対岸にあり、テーベ西岸のネクロポリスの中心部を占めます。東の谷と西の谷から成り、王墓の大半は東の谷に集中しています。
岩山に築かれた数十の墓
2005年に新たな部屋が、2008年にはさらに二つの墓の入口が見つかり、遺跡の全体像に関する知見は広がりました。エジプトの公式遺跡案内は現在、完成した墓が60基以上あり、これとは別に未完成の竪穴や墓が約20か所あると説明しています。規模は、単純な竪穴であるKV54から、120室を超える複雑なKV5までさまざまです。
ここは新王国時代の主要な王族の墓地であり、特権を持つ一部の貴族も葬られました。王墓の壁面にはエジプト神話の場面が描かれ、当時の信仰や葬送儀礼を知る手掛かりを与えてくれます。ほぼすべての墓が古代に開けられ、盗掘を受けたとみられますが、それでもファラオの富と権力をうかがわせます。
ツタンカーメンから世界遺産へ
18世紀末以降、王家の谷は考古学とエジプト学の重要な調査地であり続けています。近代にはツタンカーメン王墓の発見と、いわゆる「ファラオの呪い」をめぐる物語によって世界的に知られるようになりました。墓と埋葬をめぐる研究、発掘、保存活動は現在も続いています。
1979年、王家の谷は古代都市テーベとその墓地遺跡の一部としてユネスコ世界遺産に登録されました。