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La Quemada

サカテカス近郊のラ・ケマダを訪ねる。段状の建築、地域史、2025年再開の遺跡博物館、INAHの最新見学情報を紹介。

座標: 22.4562169, -102.8208363 更新日: 2026-10-02 Google ストリートビュー

について La Quemada

地域の交通網を見渡す丘の中心地

ラ・ケマダ遺跡は、サカテカス州ビリャヌエバ市のマルパソ渓谷にある丘の上に位置し、サカテカス市から南東へ約56キロ離れている。地形は遺跡の背景にとどまらない。築いた人々は斜面を生かし、広場やテラス、通路、祭祀・居住・行政の空間を配置した。メキシコ中部の古代都市に見られる規則的な街路配置とは異なり、ここでは丘を上り下りしながら集落の構成を読み取ることになる。

「ラ・ケマダ」という名は、近くにあった焼失したアシエンダ(大農園)に由来すると一般に説明されるが、メキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)は断定を避けている。また、メシカ人の移住伝承に登場する伝説の地チコモストクと結び付けて語られることもある。しかし、その伝承上の場所がこの古代都市だったと証明されたわけではない。INAHは遺跡の起源を未解明としており、案内標識に「チコモストク遺跡」とあっても確定的な根拠とはみなせない。

年代についても幅を持たせて理解したい。INAHの考古学ゾーンの案内は、居住時期を紀元4世紀から12世紀とし、約600~850年を主要な繁栄期としている。一方、同研究所が2026年に発表した別の紹介記事は、約300~900年という目安を示す。公式資料どうしでも表現の精度が異なるため、すべての建物を一つの年代に当てはめるべきではない。両者は、ラ・ケマダをメキシコ中北部の古典期から後古典期初頭の歴史に位置付け、近隣のチャルチウィテス文化との地域的なつながりを示している。

段状のテラス、城壁、公共建築

急斜面に都市を築くため、居住域は大きく五つの段、またはテラスに分けられた。INAHによると、そこには公共・祭祀・行政・居住の建物が配置され、通路や階段が各区画を結んでいた。開けた場所は人々が集まる活動や儀礼の場となった。地形は建物への近づき方と、谷を見渡す都市の姿を形作っており、単なる防御上の障害ではなく都市設計の一部だった。

特に目を引く遺構の一つがシウダデラ(城塞区)で、北側の壁は約800メートルにわたる。INAHの記録では、壁は高さ約6メートル、厚さ約4メートル。柱の広間は約41メートル×32メートルで、研究所はかつて高さ約6メートルの屋根があった可能性を示している。この規模から共同建設の大きさを想像できるが、屋根はあくまで推定であり、現在見られる遺構ではない。

柱の広間と奉納ピラミッドの間にある大球戯場は、約80メートル×15メートル。確認されている三つの球戯場のうち最大だ。奉納ピラミッドの斜めの壁は高さ約10メートルで、階段の一部は崩落している。これらの建築は、第一段の主広場など公共空間と一体になっている。遺構を一つずつ切り離して見るのではなく、互いの位置関係にも注目したい。

周辺集落と結ばれた地域拠点

INAHはラ・ケマダをマルパソ渓谷の主要な中心地と説明し、最盛期には周辺の220の集落を統括、または結び付けていたとしている。これは同研究所による地域的役割の解釈であり、現代の国境や、完全に解明された帝国を遺跡に当てはめる意味ではない。考古学的資料が示すのは、丘の中心と資源採取地、工房、農村、宗教的な行列に関係する場所を結ぶ道路網である。

つながりは渓谷の外にも伸びていた。INAHの解説は、サカテカス南部からトゥナル・グランデ地域、ハリスコ州高地、現在のグアナフアト州とミチョアカン州の一部へ至る交換ルートに触れている。原材料、手工業生産、食料供給は、なぜここに大きな中心地が成立したのかを考える手掛かりになる。ただし、城壁だけから支配者や権力の仕組みを特定することはできない。答えを急がず、疑問を具体的に見せてくれる点も、この場所の価値といえる。古い歴史解釈では、ラ・ケマダをチコモストクと結び付ける説が唱えられた。INAHによれば、年代記作者フアン・デ・トルケマダは1615年にその説を示し、フランシスコ・クラビヘロも18世紀に関連する見方を記した。これらは遺跡がどのように解釈されてきたかを示す歴史資料であって、考古学的な証明ではない。現在、確実に述べられるのは、ラ・ケマダが重要な先スペイン期の都市中心地であり、その正確な起源と政治的な位置付けは研究途上だということだ。

遺跡博物館と見学の計画

遺跡博物館では、現地の建築を地域史の中で理解できる。INAHによると、博物館は1996年に開館し、構造上の問題で2014年に閉館した後、研究所とサカテカス州当局の連携による整備を経て2025年3月15日に再開した。入館料は考古学ゾーンの入場料に含まれる。博物館の公式案内は毎日9時から16時、遺跡は毎日9時から18時、最終入場17時としている。博物館の閉館が早いため、見学順を考えておきたい。

確認時点でINAHが掲載していた入場料は、メキシコ国内の来訪者が85ペソ、外国人が155ペソ。学生・教員とINAPAMカード所持者には割引があり、メキシコ人は日曜日に無料となる。料金や適用条件は変わる可能性があるので、出発前にINAHで確認しよう。遺跡の案内には駐車場とトイレが記載され、喫煙、食べ物の持ち込み、ペットの同伴は禁止されている。博物館案内にはガイドツアーとクロークもあるが、当日の提供状況を確認したい。

公式アクセス案内では、サカテカス―グアダラハラ間の連邦54号線から入る。分岐は56キロ地点にあり、入口の料金所までは支線を約2.5キロ進む。遺跡はビリャヌエバ市に位置する。サカテカスからの車移動と、斜面の各段を歩く時間の両方を見込もう。テラスや階段、日差しを遮るものの少ない屋外区画があるため、歩きやすい靴と日よけが役立つ。道路や天候を確認し、保存規則を守って、壁に登ったり立入禁止区域に入ったりしないこと。

ラ・ケマダは、壮大さを感じると同時に、まだ分かっていないことを尊重して訪れたい場所だ。城壁、球戯場、テラスからは、人々が丘を作り替え、周囲の居住地域と結んだ様子が見えてくる。博物館の再開により、遺跡を歩く前後に地域の歴史を知る機会も広がった。一方で、INAHの研究は年代や起源を今も検討している。伝説上の名称を一つ探すより、谷を見渡し、何世紀にもわたり都市を支えた道、公共空間、儀礼の場に思いを巡らせてみよう。