アクラの大西洋岸に立つオス城は、ひとつの物語というより、権力が幾度も移り変わった記録である。正式名称はクリスチャンスボー城。オス地区とギニア湾に隣接する要塞群だ。スウェーデン、デンマーク、ポルトガル、内陸のアクワム、英国、そしてガーナの統治と結びつき、大西洋奴隷貿易の拡大にも関わった。海辺に映える古城として見るだけでは、その重みを捉えきれない。地域の政治、欧州諸国の競争、交易、植民地統治が交差した場所であり、現在も機関が使う施設として、公開範囲には現代の事情が影響する。
ガーナ博物館・記念物委員会(GMMB)は、オス城の前史をスウェーデン・アフリカ会社が海岸に設けた交易拠点にさかのぼらせている。同委員会の記録によると、デンマーク側がこの場所を取得したのは1661年。ケープコーストのデンマーク総督ヨースト・クラマーが、ガ族の最高首長オカイコイから金貨3,200枚で譲り受けた。石造要塞の築造年については公式ページ内に矛盾があるため、ここでは争いのある年を確定した事実として扱わない。確認できるのは、欧州の要塞が目印となる以前から、この海岸にはガの人々が暮らし、地域の政治を担っていたことだ。