現在のパナマ市東部にあるパナマ・ビエホには、スペイン王室が1519年に「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・アスンシオン・デ・パナマ」として築いた集落の遺構が残ります。アメリカ大陸の太平洋岸における最初期の恒久的なヨーロッパ人都市で、海上航路と地峡を横断する陸路を結ぶ戦略的な位置にありました。現在の考古遺跡は植民地都市を再現したテーマパークではありません。発掘された基礎、残存する石造りの壁、道路、宗教・公共建築の痕跡をたどります。周囲に広がる現代の首都との対比も、訪問の印象を形づくります。
ここは、都市が移転した後の歴史地区であるカスコ・アンティグオと混同されることがあります。両者は歴史的につながっていますが、場所は別です。パナマ・ビエホは最初の都市の考古遺跡で、後に築かれた市街地はさらに南西の半島にあります。パナマ・ビエホ後援会が遺跡の保存、調査、一般向け解説を担っています。この違いを踏まえると、点在する遺構の意味をつかみやすくなります。太平洋、カリブ海側へ向かう道、スペイン植民地の交易網を結ぶ移動を支えた都市の痕跡です。