について ウム・アル=ラサス
ヨルダン中部の開けた土地に残る町の遺跡
歴史的にはカストロム・メファアとも呼ばれるウム・アル=ラサスは、マダバの南に広がるステップ地帯にあります。ヨルダン考古局によると、アンマンから南へ約60キロ、マダバから南東へ約26キロ、マダバ台地上に位置します。単独の建物ではなく、ローマ、ビザンチン、初期イスラム時代にまたがる遺構が広く分布する考古遺跡です。開けた景観も見学の一部で、城塞集落、教会、農耕の痕跡が同じ土地に残っています。
考古局は、遺跡の始まりをローマ軍の駐屯地と説明し、5世紀以降に町へと発展したとしています。ユネスコは遺構の年代を3世紀末から9世紀までとし、未発掘の区域が大部分を占めると記しています。目に見える遺跡は全体の一部に過ぎず、地上に壁が現れていない場所も考古学的に空白とは限りません。建築、芸術資料、歴史的価値が評価され、2004年に世界遺産リストへ登録されました。
教会群と町の名を伝えるモザイク
ユネスコはウム・アル=ラサスに16の教会があると記録し、その一部にはよく保存されたモザイク床が残ります。最も知られるのは聖ステファノ教会の床で、当時のヨルダン、パレスチナ、エジプトの都市が描かれています。床を飾るだけの図柄ではなく、都市名や配置から地域の町の世界と、作品を依頼した宗教共同体を知る手掛かりになります。考古局は地理資料としての価値を指摘し、同局の刊行物では教会の年代やモザイクの意味が考古学上の研究課題として扱われています。
このモザイクを現代の地図や、すべての集落を網羅した一覧と見なすべきではありません。教会の床として制作された図像であり、都市の表現は作者の知識や信仰の背景を映しています。ヨルダンの文化遺産当局によれば、ほかの教会にも幾何学模様や動物、鳥、人の姿を描いたモザイクがあります。その多様さは、ウム・アル=ラサスが歴史を通じて軍事施設だけだったわけではないことを示します。宗教、居住、農業の機能が広がり、初期イスラム時代にもキリスト教共同体が続きました。
柱上修行を伝える塔と周辺の暮らし
ウム・アル=ラサスを特徴付ける遺構の一つが、柱上修行と結び付く四角い塔です。ヨルダン考古局によれば高さは14メートルで、周囲には小さな教会があります。柱や塔の上で孤独な修行を行った修道者は「スタイライト」と呼ばれ、最上部の居住場所には取り外し式のはしごで上ったと考えられています。ユネスコはこうした塔を、この地域では珍しい修行の痕跡と位置付けています。その特異な形は、信仰の実践や日々の暮らし、町との関係について考えるきっかけになります。
遺跡は教会やローマ時代の城壁だけではありません。考古局は、敷地内外に農業用の段々畑、水路、貯水施設があると記しています。ユネスコも乾燥地帯に古い農耕の痕跡が残ると述べています。こうした施設は、住民が限られた水を管理し、台地の土地を利用していたことを伝えます。教会とあわせて見ることで、宗教施設や軍事拠点だけでなく、人々が暮らし、耕し、世代を重ねた景観としてのウム・アル=ラサスが見えてきます。
ローマ軍営地からビザンチン時代の町へ
ウム・アル=ラサスには、数世紀にわたる歴史と異なる政治環境の層があります。初期の核となったのは城壁を備えたローマ軍営地で、その後、特に5世紀以降に城壁の外へ町が広がりました。教会とモザイクは、ビザンチン時代から初期イスラム時代にかけてのキリスト教徒の存在を伝えます。考古局の記録にはウマイヤ朝期や、さらに後のオスマン期の遺構も挙げられています。一続きで変化のない物語にまとめるのではなく、建物や土地の用途に見られる継続と変化の双方を読む必要があります。
カストロム・メファアという古い名称は遺産資料に記載されていますが、遺跡を特定の聖書の出来事と結び付ける場合は慎重さが必要です。以前の短い記事は聖書に登場するメファアトの町に当たると断定していましたが、今回確認した公的資料では確証が十分ではありません。そのため本稿では、考古局や考古学出版物が直接記録する城塞、後代の町、教会、モザイク、塔、農業施設に話を絞ります。未確定の説を事実に変えず、今後の研究の余地を残すためです。
広い考古遺跡を訪れる前の準備
ヨルダン考古局によると、ウム・アル=ラサスはアンマンから南へ約60キロ、マダバの南東にあります。屋内の小さな博物館ではなく、広い考古遺跡を歩く場所なので、遺構やモザイク、塔を観察する時間を見込んでください。遺産関連の公式資料には、最新の公開時間、入場料、確認済みの交通時刻が掲載されていません。考古局の事務所の勤務時間を、遺跡の開場時間と取り違えないようにしましょう。
出発前にヨルダン考古局または信頼できる現地の旅行事業者へ連絡し、遺跡が公開されているか、見学方法がどうなっているか、当日に聖ステファノ教会のモザイクを見られるかを確かめてください。公式の遺産情報は価値を理解する助けになりますが、最新の訪問案内に代わるものではありません。アンマンやマダバからの交通は、詳細を確認してから手配しましょう。今回参照した一次資料では、バス、飲食店、ビジターセンターの運営時刻を確認できなかったため、この記事では断定していません。準備を整えれば、モザイク、塔、水管理の跡から古代の町の広がりを読み取れます。