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フォロ・イタリコ

フォロ・イタリコのファシズム期の成立、大理石像とモザイク、現在の競技施設、見学時の注意点を紹介します。

座標: 41.9313457, 12.4563037 更新日: 2026-10-10 Google ストリートビュー

について フォロ・イタリコ

ローマ中心部の北に広がるスポーツ地区

ローマ北部、モンテ・マリオの麓でテヴェレ川に近いフォロ・イタリコは、古代ローマの遺跡ではなく、現在も使われる大規模なスポーツ施設群である。名称から遺跡や考古学の史跡を想像する人もいるが、実際には記念碑的な並木道、スタジアム、プール施設、組織の建物からなる近代の一帯で、今日も大会や公共イベントが開かれる。川やデッラ・ヴィットリア地区に隣接する立地は、ローマのスポーツ風景の中でも独特だ。同時に、その建築は20世紀イタリア史の複雑な章を今に伝えている。

一棟だけを見るのではなく、複数の場所からなる全体として歩くと理解しやすい。スタディオ・オリンピコ、テニス施設、プール、歴史的建築では用途も入場条件も異なる。試合やコンサート、大会の開催日は開く区域と制限される区域があり、使用中の施設へ通常いつでも入れるとは限らない。旅行者にとっての魅力は、都市空間の大きさだけでなく、スポーツ、政治的な図像、公共空間が意図的に結び付けられた様子を読み取れる点にもある。

フォロ・ムッソリーニからフォロ・イタリコへ

計画は1920年代末、イタリアのファシスト政権下で始まり、当初はフォロ・ムッソリーニと呼ばれた。イタリア・オリンピック委員会の沿革資料は、初期の複合施設を建築家エンリコ・デル・デッビオの設計としている。その後、ルイジ・モレッティも重要な建物や計画に携わった。主要施設の最初の一群は1932年に開館した。建設の目的は中立ではない。政権は体育教育と記念碑的建築を使い、規律ある身体、若者、国力という政治像を宣伝した。この背景を抜きにしては、なぜこの形で造られたのかを十分に理解できない。

柱、彫像、大理石、軸線を強調した眺望など、古典的な造形は古代ローマの視覚言語を借りながら、現代の独裁体制に奉仕した。第二次世界大戦後に名称はフォロ・イタリコへ変わったものの、残る石の銘文や図像から政治的な出自を読み取れる。したがってここは、スポーツ施設であると同時に、プロパガンダの物証でもある。デザインや素材の技術を評価しつつ、作品が権威主義的な計画の中で発注されたことも認識したい。壮大な景観を、古代イタリアへの単純な賛美として見るだけでは歴史を取りこぼす。

モザイク、大理石の選手像、変化を重ねた競技場

広い進入路を歩くことは、この施設群を読み解く分かりやすい方法の一つだ。ローマ市観光局によると、主軸の道には白黒のモザイク舗装が続き、中央にはカッラーラ産大理石のオベリスクが立つ。素材と配置が劇的な景観をつくる。白い石が光を受け、長い見通しが視線を競技施設へ導き、選手像が彫刻と身体訓練を結び付ける。スタディオ・デイ・マルミではその構想がとりわけ明瞭で、異なる競技を表す60体の巨大な大理石像が、競技場を彫刻の観客席のように取り囲む。

スタディオ・デイ・マルミは1928年から1932年に建設され、ファシスト男子体育アカデミーの練習場として使われた。隣のスタディオ・デイ・チプレッシは1932年に着工し、のちにスタディオ・デイ・チェントミラ、そしてスタディオ・オリンピコとなった。1953年にオリンピコの名で開場し、1960年のローマ五輪に向けて改修、1990年サッカー・ワールドカップに際して大部分が再建された。施設群はその後も発展している。ローマ市観光局は中央テニススタジアムの開場を2010年とし、古いコートの一つとしてスタディオ・ニコラ・ピエトランジェリを挙げる。つまり、ここは1930年代で時が止まった場所ではなく、異なる時代が重なる空間だ。

大会予定と入場条件を確かめて訪れる

訪問計画では、共通の開館時間を想定するより、イベント日程を調べる方が役に立つ。フォロ・イタリコには稼働中の競技施設や組織の敷地が含まれる。公式観光案内は各施設を紹介しているが、複合施設全体に使える一枚の入場券や一律の時間帯は示していない。競技場、歴史的建造物、スポーツ施設の公開状況は、それぞれの用途やイベント日程によって異なるため、すべての屋内施設に入れると思い込まないようにしたい。出発前に、訪れたい競技場、大会、文化プログラムの公式案内を確認しよう。

有料イベントがない日でも、周辺の位置関係を知れば建築がローマの中でどう配置されたかが見えてくる。施設はドゥカ・ダオスタ橋と川の近く、歴史地区の北側にある。橋、オベリスク、モザイクの道、スタジアムがどのようにつながるかを見ながら進むと、記念碑的な軸線の意味が分かりやすい。安全管理、工事、大会により特定施設へのアクセスは変わることがある。案内表示に従って許可された歩道を使い、練習区域、更衣室、柵の内側には入らない。認められた公共区域からの一枚の写真でも全体像を捉えられる。

フォロ・イタリコを訪ねるときは、スポーツの現場であることと、ファシスト政権期の建築遺産であることの両方を見つめたい。モザイクや像は独立した飾りではなく、かつてまとまった政治的メッセージを担っていた一方、今日の施設は選手、観客、大会を迎えている。1930年代の建物と、五輪やテニスをめぐる後代の増築を見比べ、旅行日の近くに公開状況を確かめる時間を取ろう。そうすれば、写真映えするスタジアム地区を眺めるだけでなく、ローマの近代史が人々の歩く道や現在の競技に残る場所として理解できる。