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ファブリキウス橋

紀元前62年築のファブリキウス橋を解説。古代の銘文、四つの頭の由来、構造、ティベリーナ島を結ぶ散策ルートを紹介します。

座標: 41.891183, 12.478292 更新日: 2023-11-29 Google ストリートビュー

について ファブリキウス橋

ファブリキウス橋:今も渡れる古代ローマの橋

ファブリキウス橋(ラテン語Pons Fabricius、イタリア語Ponte Fabricio)は、テヴェレ川東側の流路に架かり、ティベリーナ島と左岸を結びます。紀元前62年に建設されたローマで最も良好に残る古代橋で、ミルウィウス橋と並び、現在も使われる市内最古級の橋です。島の西側ではチェスティオ橋がトラステヴェレ方面へ続きます。

橋は、それ以前の木橋に代わって造られました。歴史家リウィウスによれば、木橋は紀元前192年にはすでに存在し、実際にはさらに古かった可能性があります。アーチに刻まれた四つの大きな銘文は、建設者ルキウス・ファブリキウスの名を伝えています。彼は道路の維持管理を担うcurator viarumでした。

洪水と修復を乗り越えた構造

小さな銘文には、テヴェレ川の二度の大洪水後、紀元前1世紀にマルクス・ロッリウスとクイントゥス・アエミリウス・レピドゥスが行わせた修復が記録されています。帝政期にも手が加えられ、1447年には教皇エウゲニウス4世がトラバーチンの舗装を整備し、1679年には教皇インノケンティウス11世のもとで補強と欄干の再建が行われました。

二つの大きな緩いアーチが中央橋脚に載り、橋脚には増水時の水圧を逃がす小アーチが開いています。主要構造にはペペリーノ石の切石や凝灰岩が使われ、広い範囲をトラバーチンで覆っています。レンガ部分は17世紀の修復に由来し、異なる時代の技術を橋上で読み取れます。

「四つの頭の橋」の由来

別名ポンテ・デイ・クアットロ・カピは「四つの頭の橋」を意味します。欄干を飾る、四方向に顔を持つ二基の大理石製ヘルマ像に由来し、この呼称は16世紀初頭には確認されています。四人の建築家が修復をめぐって争い、教皇シクストゥス5世に処刑された後、永遠に一緒にされる姿として彫られたという話もありますが、ローマ観光当局は史実ではなく民間伝承として紹介しています。

橋がつなぐローマの歴史

東端は古代のカンプス・マルティウス側にあたり、旧ユダヤ人地区やマルケッルス劇場にも近接します。ユダヤ人共同体のそばにあったため、かつては「ユダヤ人の橋」とも呼ばれました。島の宗教・医療の歴史と西側のチェスティオ橋を合わせると、古代、中世、教皇領時代、現代が短い散策路に重なって見えます。

見学と撮影のポイント

現在も歩行者の通路で、入場券を買う閉鎖型の遺跡ではありません。ラテン語銘文、四面像、中央の水抜きアーチを間近で確認し、開放中の河岸から全景を見ると構造を理解しやすくなります。朝夕は光が柔らかい一方、夜間は石畳の段差、混雑、手荷物に注意してください。

旧ユダヤ人地区から島へ渡り、そのままトラステヴェレへ歩くルートが便利です。水位、保守工事、催事により通行や河岸へのアクセスが一時的に変わる場合があるため、ローマ市の観光・文化財情報を事前に確認しましょう。欄干を越えたり、閉鎖された河岸へ入ったりしてはいけません。