アウシュヴィッツ=ビルケナウ記念博物館は、ドイツ・ナチスの強制収容所と絶滅収容所が置かれた跡地にある。1940年、ナチス・ドイツは第三帝国に併合したポーランドの町オシフィエンチム郊外に収容所を設けた。ポーランド人政治犯の最初の移送列車は、同年6月14日にタルヌフから到着した。アウシュヴィッツは存続期間を通じて強制収容所として機能し、1942年からはヨーロッパのユダヤ人を計画的に殺害する主要な拠点の一つにもなった。誰が罪を犯したのか、歴史上の主語を明確にしたい。これはナチス・ドイツが占領下のポーランドに建設し、運営した収容所である。
収容所群はアウシュヴィッツ第一収容所、第二収容所ビルケナウ、第三収容所モノヴィッツと、数十の付属収容所を含むネットワークへ拡大した。博物館は、およそ130万人がアウシュヴィッツへ移送され、約110万人が殺害されたと推計している。犠牲者の約100万人はユダヤ人で、ほかにポーランド人、ロマとシンティ、ソ連軍捕虜、その他の国籍の人々が含まれる。これは歴史研究に基づく推計で、完全な登録記録ではない。到着直後に殺害された多くの人々は登録されず、収容所体制の崩壊時に親衛隊が文書を破棄した。博物館の解説は、犯罪の規模とともに、現存する記録の限界も説明している。