トゥルム遺跡 Quintana Roo メキシコ 中央と北アメリカ


トゥルム遺跡(トゥルムいせき、ユカテク語:Tulu'um)は、マヤ文明末期に栄えた城壁都市の遺跡である。内陸にあるコバー遺跡のための主要な港として用いられていた。メキシコのカリブ海に面したユカタン半島東海岸のキンタナ・ロー州にあり、廃墟は、高さ12メートル(39フィート)の崖の上に位置している。トゥルムは、マヤ人によって造られ居住された最後の都市の1つで、13から15世紀の間に繁栄し、スペイン人がメキシコを占領し始めたあとも、およそ70年間を生き延びた。スペインの移民によって持ち込まれた感染症が、終焉の原因であったようにも見られている。トゥルムは、沿岸部で最も保存の良いマヤ遺跡の一つで、観光客の人気を博している。

トゥルム遺跡は、カリブ海が東に広がる絶壁の上に建てられていて、以前から「夜明けの街」を意味するZamaという名前で知られていた。トゥルムという言葉は、ユカテコ語で「フェンス」「壁」または「溝」を表し、取り囲む壁はトゥルムの砦を侵入者から守った。トゥルムは、特に黒曜石のため重要な取引拠点として陸海双方の通商路を使った交易が行われた。周辺にある数多くの壁画などの存在から、降臨する神への礼拝のための重要な場所であったようにも見える。このトゥルムの町は推定で1000から1600の人口を有していた。

トゥルムは、ヨーロッパ人が初めて接触した1518年のスペインフアン・デ・グリハルバ探検隊の隊員であったフアン·ディアスによって最初に記された。遺跡の最初の詳しい説明は、ジョン・ロイド・スティーブンスとフレデリック・キャザウッドによって1843年に発表された「ユカタン探索行(Incidents of Travel in Yucatan)」である。上陸後、浜から城砦を目にし、そびえ立つ中央神殿に感銘を受けたスティーブンスらは、遺跡の壁の正確な地図を作成し、キャザウッドは城砦といくつか他の建物をスケッチした。スティーブンスとキャザウッドはまた、おそらくほかのどこかで造られトゥルムに運び込まれて再利用されたであろう、西暦564年に刻まれた初期の古い石碑(現、大英博物館所蔵)についても報告した。

トゥルムにおける本格的な研究は、シルヴェイナス・モーリーとジョージ・P・ハウによって1913年の海岸の復元作業から始まった。研究は、1916年から1922年までのカーネギー研究所、地図の作成を行った1924年のサミュエル・ロスロップ、1930年代後期と1940年代初期のミゲル・アンヘル・フェルナンデス、1956年のウィリアム・サンダーズ、そして1970年代とそれ以後のアーサー・G・ミラーらによって続けられた。サンダーズとミラーによるこれらの調査を通して、トゥルムが西暦1200年頃の後古典期後期以降から栄えていたと確定した。16世紀前半にスペイン人と接触するまで、トゥルムは繁栄を続けていたが、16世紀末までには完全に放棄されたことがわかった。
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