ドイツ北部、シュレースヴィヒ地峡に広がるデーンヴィルケは、一目で全体を見渡せる一本の壁ではない。数世紀にわたり築き直されてきた土塁、堀、防御施設がつくる境界の景観である。ユトランド半島がヨーロッパ大陸へ近づく狭い通路では、防衛と交通の両方が重要だった。その歴史を理解するには、近くのヘーゼビューもあわせて考えたい。バイキング時代の交易集落と港は、北海、バルト海、さらに遠方の土地を航路や陸路で結んだ。二つの場所は、国境が軍隊を防ぐ線であると同時に、人や物の往来を導く通路でもあったことを伝える。価値は個々の土塁だけでなく、防衛、交易、地理の結びつきにある。
地形を知ると、商人や支配者がこの一帯を重視した理由が見えてくる。河川、入り江、広い湿地が半島と大陸の移動を限る一方、北海とバルト海の間を陸路で短く結ぶ道は、長い海上航路を避ける選択肢になった。ユネスコは、土塁、壁、堀、集落跡、墓地、港湾施設が空間的につながった遺産として説明し、その年代を紀元後の第一千年紀と第二千年紀初頭に置く。遺跡はシュレースヴィヒ地峡の広い範囲に点在し、一つの囲われた見学区に集まってはいない。訪問は城や軍事博物館に入ることではなく、国境の景観を読み取る体験となる。