について エスタディオ・ナシオナル・デ・チリ
チリ・サンティアゴ国立競技場:サッカー史と記憶を伝える場所
サンティアゴの国立競技場は、ヌニョア区グレシア通り2001番地にある。単なるサッカー会場ではない。チリを代表するスポーツ施設であり、歴史的記念物であり、政治的暴力を記憶する場所でもある。正式名称はエスタディオ・ナシオナル・フリオ・マルティネス・プラダノスだが、多くの人には「国立競技場」として知られる。訪問方法は目的によって異なり、試合やコンサートには個別の入場規則があり、記憶の場のガイドツアーは別途予約する。
スポーツ施設として建設、1938年に開場
競技場は1937年から1938年に建設され、1938年12月3日に開場した。以来、国内を代表するスポーツ施設として、大規模な公共イベントも開催してきた。最も知られる競技史の一つは、チリがFIFAワールドカップを主催した1962年だ。国立競技場では決勝が行われ、ブラジルがチェコスロバキアを3対1で破り、チリは大会3位となった。その後も代表戦、陸上競技、コンサートなど、特定クラブのホームゲームにとどまらない催しが続いている。
競技場はより広いスポーツ施設群の中心にある。中央競技場の周囲には練習や大会に使われる施設があり、パルケ・エスタディオ・ナシオナルの公式カレンダーは会場ごとにイベントを掲載している。訪問計画ではこの違いが重要だ。公園内でイベントがあっても、メインスタジアムのスタンドやすべての記憶施設が一般公開されるとは限らない。実際の入場は各イベントの公式案内とチケット条件で決まる。
国立記念物評議会は、市民生活における役割も記録している。チリが民主主義に戻って以降、競技場は国内最大の投票所として利用されてきた。スポーツ、公共の集まり、選挙が同じ敷地で行われ、訪れる人々や催しに応じて場所の意味が重なっていく。
1973年クーデターの歴史を刻む記念物
競技場には、チリの近現代史と切り離せない記憶もある。1973年9月11日の軍事クーデター後、国立競技場は拘禁・拷問施設として使われた。チリ国立記念物評議会は、1973年9月から11月まで国内最大の政治犯収容施設だったと記している。何千人もの人々が収容された。公式資料では、プール北側の更衣室、ヴェロドローム南側の螺旋通路、その近くのトンネルなどが拘禁や虐待の場所として示されている。
2003年、政令第710号により歴史的記念物に指定された。スポーツと建築の価値だけでなく、国民の集合的記憶における位置も認められている。敷地内の記憶施設には、エスコティージャ8、女性更衣室、記念碑、ヴェロドロームの一部など、出来事を伝える場所が含まれる。装飾的な展示ではなく、証言を保存し、身近な公共競技場とそこに囚われた人々との関係を次世代に伝える場である。
記憶施設の見学方法
記憶施設を運営する団体は現在、ガイド付き見学の申込みを受け付けている。一般向けページには毎週土曜午前10時のツアーが掲載され、学校や団体は月曜から金曜に申請できる。公式サイトのフォームから予約が必要だ。最近は新しい没入型の展示室もガイドルートに加わると案内された。通常の博物館のように自由に入る形式ではなく、事前に時間を決める見学なので、出発前にフォームで空き状況、集合方法、変更情報を確認しよう。
スポーツイベントへの入場は別手続きだ。パルケ・エスタディオ・ナシオナルが最新カレンダーを公開し、各主催者がチケット、ゲート、制限を定める。チケットに中央競技場などの会場名が記載されているか、入口と到着時刻を確認しよう。試合やコンサートのチケットに記憶施設ツアーが含まれるとは限らず、記憶施設の予約でスポーツイベントを観戦できるわけでもない。競技場の所在地はヌニョア区グレシア通り2001番地。大規模イベント時は警備によって通行経路が変わる場合がある。
この場所では、スタンドから写真を撮るだけでは見えない歴史にも目を向けたい。ワールドカップ決勝を開催した同じ競技場が、1973年には国家による拘禁施設となり、現在は現役の公共施設であると同時に記憶の景観となっている。記念物としての指定と歴史はチリ国立記念物評議会で確認できる。土曜の見学や団体申請は記憶施設の訪問案内、試合やコンサートは公園の最新イベントカレンダーを参照しよう。