百五十年ものあいだ、円明園、すなわち「完全なる明るさの園」は、清帝国の真の中心だった。1709年に康熙帝のもとで着工し、その孫の乾隆帝によって大きく拡張され、やがて三つの連なる庭園——円明園、長春園、綺春園——からなり、北京北西の郊外に約350ヘクタール、紫禁城の五倍の広さに広がった。後代の皇帝たちは紫禁城そのものよりこの庭園を好み、市中心の格式ばった宮殿ではなく、その湖のほとりから政務をとった。
これを見たヨーロッパ人は「東洋のヴェルサイユ」「万園の園」と呼んだが、その名は空疎な追従ではなかった。園内には数百もの景が造られた。江南の古典的な風景に倣った曲がりくねる水路と蓮池、築山、楼閣、殿堂、書庫が、それぞれひとつの眺めや趣を切り取っていた。とりわけ驚くべきは西洋楼で、清朝の宮廷に仕えたイエズス会士の助けを得て設計された西洋式の石造建築群であり、噴水、壮大な水仕掛け、そして迷路を備えていた。ここは中国と西洋の芸術が対等に出会った場所であり、書物や絵画、宝物にあふれた皇室の博物館でもあった。